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【連載企画】高校留学で新たな人生をキックオフ!~ジュン君編~

ニュージーランド・クライストチャーチに高校留学し、現地の子どもたちに日本式サッカーや日本文化を教えるボランティア団体「Samurai FC」を立ち上げた創設者3名(ジュン君、ケイ君、コウセイ君)が綴るエッセイ記事をアズ留学センターで大特集!

性格も境遇も異なる3名の日本人がクライストチャーチに集結し、ただ一つ共有していた「サッカー愛」を通じてどんな化学反応が起きたのでしょうか?

第1弾は、弊社アズ留学センターから出発した現在大学3年生のジュン君です。

中高生時代、日本のサッカー強豪校で挫折を経験し、空虚な日々を送っていた彼が、なぜニュージーランドへ飛び立つことを決意したのか。高校留学を通じて「殻を破る」ことを選んだジュン君が、やがて現地で人生初の親友たちと出会い、ボランティア団体を立ち上げるまでの軌跡を、リアルな体験談とともにお届けします。

アズ留学センターでは「アズ×サムライ留学パッケージ」として、ニュージーランド高校留学とともに、3名が立ち上げたSamurai FCの運営に参加してくださる日本人高校生を募集しています。

ニュージーランドでの高校留学とボランティア団体の運営を通して青春を駆け抜け、現在もそれぞれの道で活躍を続ける3名のレガシーを引き継ぐ新たなメンバー大歓迎!
皆さまからのお問合せをお待ちしております。


こんにちは!現在日本で大学生をしているジュンです。「Samurai FC」でヘッドコーチを務めていました。何者でもない空っぽだった中学生の僕が、2019年から2022年にかけてニュージーランドの高校に通い、無事卒業するまでに出会った宝物の数々についてお話しします。

自己紹介・留学ヒストリー

  • 静岡県出身。小3からサッカー一筋
  • 地元の中高一貫強豪校に進学
  • 高校入学直後、思い切ってニュージーランドへ留学
  • 異文化の中で学び、多くの挑戦を経験
  • 帰国後、立教大学に進学。現在大学3年生

ニュージーランド留学の内容

国/都市名:New Zealand/Christchurch
学校名:Cashmere High School(カシミアハイスクール)
コース名:高校正規留学(卒業目的)
留学期間:高校卒業まで(2019年7月Year10~)
滞在方法:ホームステイ(個室・3食付き)
ビザタイプ:学生ビザ
現地サポート:あり
日本のエージェント:アズ留学センター

一難去ってまた一難の、留学のはじまり

1. 僕にとっての留学

突然ですが、皆さんは「留学」と聞くとどんなイメージを持ちますか?
語学力向上、異文化体験、自己成長などなど…いろいろあると思いますし、どれも間違っていないと思います。
僕自身も、留学に行く前はそんな漠然としたイメージしか持っていませんでした。

そんな僕が留学を終えて、「自分にとって留学ってなんだったんだろう?」と問いかけてみると――それは“新たな人生を歩み始めるきっかけ”でした。 「新たな人生?じゃあ留学する前まではどんな人生だったの?」と聞かれたら…正直、決して明るいものではありませんでした(笑)。

中学生時代の筆者
2. 空っぽの学生生活

日本では中高一貫のサッカー強豪校に入学した中学生の僕は、人間関係がうまくいかず、次第にサッカー自体も楽しくなくなり、高校進級前に退部してしまいました。
サッカーをやるために入った学校だったので、僕には何も残らず、練習に向かう元チームメイトを横目に、やることがなくただ帰宅する日々を送っていました。

正直、当時部活を辞めるという決断をしたことに後悔はありませんでした。なんなら、「これが人生初の帰宅部か〜、辛い練習に行かなくていいし、放課後が楽だな〜」などと呑気に思っていた時もありました(笑)。ただ、他に趣味や夢も特にない僕は、どこへ向かって生きているのかも分からないまま、学校生活を過ごしていました。
だから、嫌な環境から解放されたはずなのに、どこかで飽きてきて、寂しさを感じる。
そんな感情すら抱くようになり、「やっぱりこのまま高校生活が終わるのは嫌だなあ、何か刺激が欲しいなあ」と思い始めたんです(わがままなヤツ!ですが、意外と人間みんなそうじゃないかなあ笑)。

すると、急に両親から「留学はどう?」という声がかかりました。 そのときは、「自分の今の感情に気づき、何か変わるきっかけを作ってくれたんだな。一生頭が上がらないな…」と感じましたが、同時に、「今の生活を抜け出すにはこれしかない」と、藁にもすがる思いで躊躇なく留学を決めました。
だから、もはや、僕にとって留学は これまでの自分に一旦終止符を打ち、人生の第二章を始めるためのきっかけだったのです。

そんなこんなで決まった留学ですが、当時の僕は目標もなく、英語も話せない上にシャイな性格。正直、不安だらけでした。でも、いざ飛行機に乗ったときは、不思議と「新しい人生をスタートしようとしているんだ」というワクワクがこみ上げてきたのを鮮明に覚えています。 振り返れば、この「ワクワク」こそが、後に人生で初めての親友となるケイやコウセイ、ルーカスと出会い、「Samurai FC」を共に立ち上げることにつながった、まさにすべての起源だったのです。

ニュージーランドに向かう飛行機から
3. 真冬コールドシャワー事件

さて、いざ始まった留学ですが…飛行機ではワクワクしていた当時の「ジュンくん」にはまあ、いろいろなことが起きました(笑)。
最初のホームステイは、シングルマザーと子供2人のホストファミリーでした。
ワクワクドキドキの初日の夜、挨拶を終えて荷解きを済ませ、「よし、何か会話をしなきゃ!」とリビングへ。拙い英語でなんとか少し話したものの、相手が何か話しかけてくれているのは分かるのに内容は全然分からず(笑)。と思ったらその直後、マザーが急に家を飛び出してしまい、僕は一人ぼっちに…。しかもその時、ホストブラザーは別居している父親の家に行っていたので、広い家にポツンと僕ひとり。急に不安と寂しさが襲ってきました(笑)。
「家で一人なんて別に大したことないでしょ?」って思うかもしれませんが、遠い異国の地に来てホームステイ初日でひとりぼっちって、想像以上に寂しいもんなんですよ(泣)。
まあ、そんなこともありつつ(結局マザーは友達の家に行っていただけでした)、留学初日から2ヶ月くらい経って少し慣れてきた頃の話です。

ある夜、一人で留守番していて「お風呂には~いろ」とシャワーをひねったら…お湯が出ない!「そんなはずは」と家中の蛇口をひねりまくるも、一向にお湯は出ず(笑)。しかも季節は真冬。1時間ほど格闘してもホストマザーには連絡がつかず、悶々としながら覚悟を決めた僕ジュンくんは、人生で初の「真冬コールドシャワー」に入りました!!(爆笑)
なんかもうそのときは、流石に震えながら「自分、生きてんな〜人生おもろ」って半分やけくそで思ってました。

……とまあ、こんな具合にハプニングには事欠かない留学生活でした。

なぜこんな話をするかというと、もしこの記事を読んでいる誰かが留学に行って、辛いことがあった時に、「そいえば初日にひとりで寂しがってたり、真冬に水シャワー浴びたりしてた人いたな〜」なんて思い出してもらえればいいなと思うからです(爆笑)。きっと、ちょっと安心(?)するんじゃないかな。多分!!

ホームステイ到着後

「You okay?」で救われた、現地高校生活

初日に学校を見にいった際のショット。顔が不安と緊張に満ち溢れています😭笑
4. 人生で1番のアウェイ!!!

ということで、ここまではホームステイ生活についてでしたが、もちろんその間は学校にも通っていたわけで。

留学1年目の学校生活を一言で言うと「殻を破れた学校生活」でした。
僕は「高校から留学スタート」と言いましたが、実際は日本の高校に1学期間だけ通ってから渡航したので、そのままだとニュージーランドの高校1年の途中から入学する形になり、中途半端だったんですよね。そこでまずはYear10(日本でいう中学3年)のクラスに入り半学期を過ごし、翌年からYear11(日本の高校1年)にやり直す、というプランで始めました。

留学先は中高一貫の学校。高校から仕組みが少し変わりますが、Year10までは日本のように「クラス」があって、すべての授業を同じメンツで受ける形でした。だから、僕が入学したときはまさに、それこそ「転校生が来たぞー」という雰囲気。しかも、その転校生は英語がほぼ話せない日本人「こういうアウェイな環境大好き!」って人なら気にしないかも知れませんが、当時の僕は人の目をずーっと気にして生きてきた人間。よくあんな環境に飛び込めたな、と今では本当に不思議に思います(笑)。

そして、いよいよ登校初日。ドキドキしながら自分の教室を探していたのですが…さすが中高一貫校。学校が広すぎてどこがどこか分からーん!!いやあ、本当に焦りましたね、当時は。
まあそれはさておき、なんとか教室の近くまでは来たものの、どの棟なのか分からずウロウロ。
すると、ちょうど通りかかった男3人グループの一人が「You okay?」と声をかけてくれたんです。
「なんて優しいんだ!」と思いながら、「ここに行きたいんだけど…」と伝えると、なんと彼らも同じ教室に向かっているとのこと。つまりクラスメイトだったのです!
彼らもそれにすぐに気づいて、教室に向かう途中でいろいろと質問をしてくれました。
そして、やっと教室に着くと、既にクラス内は人でいっぱい。 緊張しながら「どこに座ろう…」なんて考えていると、先ほどの男の子が「一緒に座ろうよ」と声をかけてくれました(優しすぎる泣)。

こうして、なんとか留学生活初の授業を受け始めることができました。
あ、ちなみにその男子グループ、まさかのクラスの中でもかなりやんちゃグループだったんですね(笑)だから、全然言葉を発さない日本人の僕が、授業中に叫んだりしているグループの隣にちょこんと座っている感じで、周りの子たちは「あいつ一体なんや?」って感じだったんじゃないかと思います(爆笑)。
でも逆に、当時思ったのは「こんなやんちゃグループの子たちだけど、日本にいた頃みたいな”群れ”を意識する必要はないんだ…」と感動したこと。 今振り返ると、迷っている時に彼らに出会えなかったら教室にたどり着けなかったかもだし、クラスに溶け込むのももっと大変だっただろうなと思います。こういう小さな偶然って、不思議ですね。

当時、アートの授業で描いた作品
5. 覚悟を決めたホームルーム

そんなこんなで、クラスの子たちについていきながらいくつか授業を終え、日本でいう「ホールルーム」の時間に。ニュージーランドでは、出席を取るために昼前ぐらいに決められた教室に行き、先生からの連絡を聞き出欠をとるんです。が、授業と違ってその時間は友達との雑談が多め。さすがにやんちゃグループの子たちもその時は別グループの子たちと話していたり、他の生徒も大体グループで固まったりしていて、シャイな僕としては肩身が狭く、正直ちょっとキツかったです。それでも、今振り返るとそのくらいの環境の方が良かったなと思います。

日本にいた頃の僕は、人の目をずっと気にしていたり、同じ人としか一緒にいなかったから。そんな自分が、自分から声をかけるしか環境に溶け込む手段がない状況で思ったのは、「もう自分のことをよく知る人はいない。ここまできて今までの自分のままだったら、日本を飛び出した意味がない!」ということでした。
そこで初めて覚悟を決め、殻を破ってクラス中の人に、柄にもなく厚かましく声をかけまくりました(笑)。最初は本当にすっごく恥ずかしかったです。英語がまだまだで、絶妙に会話が続かず、気まずくなったり、反応されなかったり…。でも不思議なことに、そんな経験をしながらも、僕のような人間でも慣れてくるんです

結果、登校初日から1ヶ月ほどで、だんだんと話しかけることに抵抗がなくなり、英語も少しずつわかるようになって会話ができるようになっていきました。
あの時、変わろうと思い立っていなかったら、この成長は無かっただろうなと強く感じています。
初めて異国の地で、色んな子と会話しました。「実は漫画やアニメが好きなんだ」と話しかけてくれた子、ランチを一緒に食べてくれた子、休みの日に遊びに誘ってくれた子もいました。 こういった経験のおかげで、英語力が自然についただけでなく、「日本が海外からどう見られているか」を知ることができたのは、大きな副産物でした。

ニュージーはイージー?部活動・日本との違い

6. いつもそばにいてくれたもの

もう一つ、学校生活で僕にとって大きかったのはサッカー部です。記事の冒頭で、日本の高校にいた頃はもうサッカーが楽しくなくなっていた、と書きました。確かに、「サッカーのせいで」とか「サッカーなんて」と思い、辞めてやるって本気で考えたこともありました。それでも、サッカーが「嫌い」になれなかったんです。
留学前、練習に向かう元チームメイトを横目で見ながら帰る時、「いいな…」って、心の底では「またサッカーやりたいな」って、正直思ってました。こう感じたのは、僕自身がサッカーの楽しさと素晴らしさを一番よく知っていたから。

小学3年生の頃に出会ったとき、初めて「仲間」ができたとき、父と毎日夏休みに朝から練習したとき。初めて大会で優勝したとき、地区選抜の選考会に何度も落ちて隠れて泣いたとき…。 どれもサッカーが与えてくれた大切な時間で、大切な経験でした。サッカーはいつも僕のそばにあり、変わらない存在だったのです。

10歳の頃父とサッカー日本代表を観に行った時の写真
当時チケットを取ってくれた母に感謝(笑

だから、「留学に行ったらもうサッカーはやらない」とは思いませんでした。むしろ、「またサッカーができる」と思ってました。 話が少し脱線しましたが、そんな経緯もあって、留学先の学校ではサッカー部に入りました。ちゃんと選考会も受けたんですよ〜、今回は落ちませんでしたが(笑)。

7. 練習は週1日!?

いざ始まった部活動。

中学時代は鬼のように走らされ、怒号を飛ばされながら練習に励んでいた僕は、「どんな練習が待っているんだろう…」とドキドキしていました。
ところが、あれ?練習は走り込みなしで、週1日!?
そうなんです。衝撃ですが、学校の部活動としての活動は、練習と試合、合わせて週2日でした。
「なぜだろう?」と思った方もいるかも知れません。僕の意見では、「ニュージーランドでの部活動は、学生生活に幅を持たせたり、選択肢を広げたりするための計らい」だと思っています。というのも、ニュージーランドではサマースポーツとウィンタースポーツといって、季節ごとに行うスポーツが分かれており、学校では季節外のスポーツは部活としてやらない、と決まっているんです!

つまり、日本のように年中通して同じ部活動で活動するってことはありません。
例えば、ある子は、夏はテニス部、冬はサッカー部に入っていたりします。日本の学校で育った僕たちからすると、結構楽しそうだと思いませんか?
もちろん、部活に入るのは強制ではなく、やりたい子だけが入りますその中で、「サッカーが好きで本気でやりたい!」という子は、学校の部活と外部クラブを掛け持ちすることもあります。僕の高校はクライストチャーチの中でも強豪校だったので、月・水は学校のサッカー部、木・土は外部クラブ、なんて子は多かったです。
でも、そういう子たちも他のスポーツ経験が豊富で、「なんでもできちゃう」系の子が多いんです(笑)ニュージーランドには、日本に根付く厳しい「部活文化」はなく、「いろいろやってみなさい。好きなものがあればそれを頑張ればいいよ」というスタンスです。こういう環境だと、自分の可能性をどんどん広げられそうですよね。

ただ逆に言えば、あれもこれもやろうとすると、一つのことに費やせる時間は少なくなるかもしれません。日本の部活では、これはあまり起きにくいですよね。時間をかけて一つのことをとことん突き詰めていける。この「部活文化」の違いどちらも一長一短で面白いです。 これは実際に僕がニュージーランドでサッカー部に入って気づいた日本との文化の違いですが、留学ではこういうことを日常的に感じられるのが本当に素晴らしいよなあ、とつくづく思います。
ちなみに、留学先のサッカー部は全国大会に繋がるクライストチャーチの高校リーグ(日本でいう県大会?)に出場していたので、結構レベル高い環境でした。日本でコツコツ頑張った分、ラグビー最強国では身体で勝てませんが、スキル面ではチームで一番だったと思います。日本も今やサッカー強豪国ですから、3年間のレベル高い環境で揉まれてきた経験が大いに役立ちました(笑)。

8. いきなり決勝戦!?

話は戻りますが、そのリーグ戦では順調に勝ち上がり、なんと入部一年目にして優勝を経験!
下は当時の決勝戦の写真。観客はスタンド席にびっしりで、前まで来て立って見ている人もいました。正直、ここまで盛り上がるとは思っていなかったので、会場に着いたときは圧倒されましたね 決勝戦はベンチスタートでしたが、入場はチーム全員。スタンド裏からピッチに入る時、応援に来てくれた人(主に学生たち)が道を作って激励を飛ばしてくれたんです。その瞬間だけは、まるでプロ選手の気分でした(笑)。ちなみに実況付きでLive配信までありました😂

実際のLive配信の写真。スタンド席は端から端までほぼ満員
右奥でボール持っているのが筆者
前に乗り出してみている人も
優勝後の記念撮影

こんな感じで、留学1年目にして仲間や環境に恵まれ、優勝を経験することができたわけです。
正直、留学前は「楽しくサッカーできたらいいなあ」くらいの心意気だったので、まさかこんな経験ができるとは想像していませんでした。
プロになりたい思い、地元の強豪校に進学することを決めた小学6年生の自分。あれから中学3年間、頑張ったけれど、何か「自分で成し遂げた」と思えることは一つもありませんでした。でも、まさかそれが留学で叶うとは…。サッカーを捨てずに続けてきた僕に、神様がご褒美をくれたのかもしれません(笑)。 この時はただただ、「サッカー続けてきてよかったなあ」という思いでいっぱいでした。

「Samurai FC(サムライFC)」、いよいよ始動

9. 運命的な出会い

さて、ここまでは留学生活の始まり、ホームステイや学校での出来事をお話ししました。慌ただしくも新しい刺激に満ちた毎日を送る中で、やがて僕がこの記事を書くきっかけとなる出来事が訪れたのです。
それは、のちに僕の人生で初めての「親友」と呼べる存在になり、さらに一緒にボランティア団体「サムライFC」を立ち上げることになる3人との出会いです。結論から言うと、この出会いもサッカーがつないでくれた縁でしたもう、こわいこわい(笑)、サッカーには頭が上がりません。

3人のうち最初に出会ったのは、ニュージーランド育ちで日本人の両親をもつコウセイ。彼は日本で育ってはいませんが、日本語がペラペラで、スペインにサッカー留学するほどサッカーに真摯に向き合ってきた子でした。しかも、同じクライストチャーチ内にあるサッカー強豪校の10番エースも務める実力者。もちろん、先ほど紹介した高校リーグにも出場していて、あの優勝を経験した年にも対戦していました。その時から彼は一際目立っていたので存在は知っていましたが、日本人かどうかも分からなかったし、話す機会はありませんでした。

そんな中、なんと彼も僕のことを認知してくれていたらしく、リーグが終わり夏に入る頃、彼からDMが届きました。内容は「今、日本人だけでサッカーチームを作ろうとしていて、興味ない?」というものでした。
ちなみに後から知ったのですが、コウセイは幼い頃、お父さんが作った日本人サッカーチームに入っていて、彼と同じような境遇でクライストチャーチに暮らす子たちとサッカーをしていたそうです。しかし、そのチームは一度活動が途切れ、気づけばみんな高校生になっていました。

そこでコウセイは「今度は日本人留学生も含めたメンバーで、もう一度チームを復活させたい」と思い立ちました。そして、その復活メンバーの一人として僕を誘ってくれたんです。僕はちょうど、サッカーがない夏に何をしようかと悩んでいたとこだったので、ぜひ参加したいと返事をしました。 こうして僕は、「Samurai Sevens」のユースチームの練習に参加し始めました(下は初回練習時の写真)。

当時のSamurai Sevens初代メンバー。写真は初回練習時

初回練習は、コウセイと初めて会える機会でもありました。さらに、他の日本にルーツがあるニュージーランド育ちの子たちとも初めて触れ合う機会だったので、新鮮で、すぐに仲良くなれたのを覚えています。

その中でも特に、同い年でサッカーへの熱意が凄まじかったコウセイとルーカスとは、よく話が弾んでいました。ここでいきなり新登場のルーカスですが(笑)、彼もコウセイと同じ境遇で、僕やコウセイとは違う学校のサッカー部にいた子でした。ちなみに、ルーカスもリーグ戦から僕を認識してくれていたそうです😂
そんなルーカスはどんな子かというと…まさにサッカー小僧!!彼以上にこの言葉が似合う人はいないんじゃないかな(笑)。なので、よくサッカーについて語り合ったり、持ち前の天然でいつも僕を笑わせてくれてたりしていました。
ちなみに、気になると思うのがチーム名。なぜ「Samurai Sevens」なのか…。それは、ニュージーランドの夏のスポーツ、「7人制サッカー大会」へ出場するためのチームだったからです!
僕自身、当時は7人制サッカーの存在すら知らなかったので新しい発見でしたが、いざ迎えた試合当日はめちゃくちゃ楽しかったです。というのも、元々フットサルの方が得意(?)だったので、それのちょっと広い版だと思うと自分には向いていました。 そして大会には、上手い子ばっかり集まっているSamurai Sevensだったので圧勝続き!あとは、リーグ戦だけでなく他の大会にも出たりしました(下の写真)。

開会式の様子。手前の集団が「Samurai Sevens」

こうして試合を重ね、大会などにも参加してチームの結束力が上がってきた頃、いつもの練習に新しい留学生が来るという一報が入りました。
当日練習に現れたのが、のちに「Samurai FC」の創設メンバー3人目となるケイです。
話を聞くと、日本の高校が嫌になり、学校を辞めて留学に来たとのこと。
「こんなに自分と同じバックグラウンドを持つ子がいるんだ」と最初は驚きましたが、出会うべくして出会う運命だったのかもしれません。 ケイとはすぐに打ち解けられました(下はケイと初めて会った練習時の一枚です)。

中央奥で話す僕とケイ
10. Samurai FCの始動

そして、ケイがSamurai Sevensに参加した直後から、僕、ルーカス、コウセイ、ケイの4人で頻繁に集まるようになりました。サッカー以外の話もして、お互いの価値観や夢なんかも話す中で、「やっぱりこの4人は通じ合えるものがあるな」と感じるようになっていきました。
そんな楽しい日々を送る中、ある日コウセイから提案があったんです。
「自分たちより下の年代でも、日本人の親を持つNZ生まれの子どもたちがたくさんいる。その子たちにサッカーを通して日本を学べるサッカークリニックをやらないか」と。
この提案に、ワクワクした僕たち4人は満場一致で賛成! 漠然とはしていましたが、「何かでかいことをやりたい」という共通の思いがあったのが大きかったのかなと感じています。

そんなこんなで始動した「Samurai FC」。僕たちはまず、ユースチームで7人制サッカーを一緒にプレーしていた仲間たちを中心にスタッフを集めました。会議を開いたり、「どんなクリニックにしたいか」や「開催に向けて何をするべきか」などを話し合ったり、マニュアル理解度テストまでやったんです(笑)。

マニュアル理解度テストを受けるスタッフ達

僕はこのあたりで、「仲間とワクワクすることを一緒に始めるって、なんて楽しいんだろう!」って思ってました(笑)。特に組織の中心にいた僕たち4人は、性格も得意分野も全然違う。でも、だからこそ4人が集まるとできることの幅が広がり、何より目標に向かって突き進む推進力が半端じゃなかったなと感じます。

こうして、Samurai Sevensの組織としての骨組みが整ってきたところで、創設メンバー4人はそれぞれ別の役職を持つことに。僕は、サッカーを長くやっていたこともあり、サッカークリニックの現場監督的な立ち位置である「ヘッドコーチ」を務めることに決定。ヘッドコーチは、子供たちへのコーチングだけでなく、練習メニューの作成、スタッフの統率、親御さんとのコミュニケーションなども担当しました。

11. 初めての”ヘッドコーチ”
クリニック初日。NZは夏がクリスマスなのでサンタ帽子かぶってます(笑)

ということで始まりました、人生初のヘッドコーチ体験(笑)。ケイたちからは「純ならできるよー」と温かい声をもらっていたものの…こう見えて根がネガティブな僕。「ヘッドコーチなんてうまくできるのかなあ」という不安はありました。が、なぜだかこの時は今までの自分とは違いました。

「こんな挑戦、滅多にできないでしょ!ここで見せてやろう、自分の実力を!」――そう自分を鼓舞していたんです。これは、留学初日の寂しかった夜や、勇気を出してクラスメイトに話しかけまくった日、もう一度サッカーと真剣に向き合った日々乗り越えてきた自分がいたからなのか。いや、「留学に行こう」と決めたあの瞬間から、すでに何かが変わり始めていたのかもしれません。
新しい挑戦や試練って、人生のステージが一歩進んだ時に来る「成長した証」なのかもですね。 ということで結論、そこまでネガティブにならず、前向きにコーチをやり切れました。

では、実際コーチをやってみて何をしたか。
まず、ヘッドコーチとして、練習メニューを考えるところから始めました。当時は何よりも「どうしたら子供たちが楽しみながら日本文化や言葉を学べるか」を意識してメニューを作っていました。日本語の補習校ではないので、「授業」みたいな雰囲気を出してしまうとつまらない。
だからこそ、まずはサッカーを思いきり楽しんでもらう。その過程で、日本で実際に自分が体験した練習メニューを取り入れ、日本語に親しめる工夫を加えていきました。
例えば、「ボール!」という合図で2人がボールを取り合うゲーム。一見シンプルですが、「ボール」と言う前に僕が体の部位を叫んだら、子どもたちはその部位をタッチする—という追加ルールを入れました。お分かりかと思いますが、この練習を通して子どもたちは自然と「日本語でこの部位ってこう言うんだ」と気づくんです。 こんなふうに、練習メニューのあちこちに「日本語での気づき」を得てもらえるような仕掛けを散りばめていました。

12. ”あの人”ならどうしていたか

ところが実際の現場では、日本語が難しくて「うーん…」と悩む子がいたり、ふざけて全然違うことを始めちゃう子もいたりしました。そんな中で、僕が当時意識していたことがあります。

小学6年時の僕

それは、「自分が子どもたちと同じ年頃にお世話になったコーチたちを思い出す」ことでした。かつて、自分も子どもたちの立場だったからこそ、「めんどくさいなあ」って思う気持ちとか分かるんです。だからこそ、それでも「サッカーって楽しいな」と思わせてくれていたコーチたちの言葉や教え方を、よく思い出していました。 「こんな時、あの人ならどうしてたかな」って。そして、その教え方を自分なりに実践してみると、子どもたちは「なるほどね!」って納得した顔をしてくれたり、ちゃんと指示を聞いてくれたりするようになったんです。コーチたちへの感謝と同時に、自分自身の成長を感じられて本当にうれしかったですね(笑)。

13. リーダーって難しい

また、「先頭に立つリーダーの難しさ」も経験しました。当たり前ですが、一人でやっているわけではないので、他のコーチたちに自分のビジョンを伝え、具体的な行動を指示する必要があります。この流れが、一見簡単そうに見えて本当に難しかったんです。
最初のうちは、うまく連絡が伝わっていなくて連携が取れず、想定外のことが起こったりもしました。
でも、それも大事な失敗のひとつ。 「次はこう伝えよう」「普段からもっとコーチたちとの会話を増やそう」など、試行錯誤を重ねるうちに、結果的にはコーチ同士の連携や絆をより強固なものにすることができました。
何より、コーチたちが笑顔で楽しんでくれている姿を見ると、本当にうれしかったです。

サッカークリニックの様子

というわけで、こうして初めてヘッドコーチという役職を経験し、組織をまとめる難しさや、伝え方、子どもたちに教える難しさなどを学べました。 貴重な経験だったし、緊張はなくならなかったけど(笑)、毎回のクリニックが刺激だらけでワクワクでした!

14. 自分がユニフォームをデザイン!?

さて、ここまでヘッドコーチの経験を話してきましたが、この仕事はサッカーを10年近くやっていたからこそできた部分もあったと思います(笑)。
でも実は…コーチ以外にも、ユニフォームやロゴの制作にも挑戦したんです!クリニックが進行している中で、スタッフの統一感を出すためや、ユースチームが大会に出る時用にユニフォームを作ろう、という話が出ました。ただ、ユニフォーム&ロゴ作成にはクリエイティブさが必要。でも周りにデザインを学んでいる人はいなかったんです。そこで4人で話し合った結果、元々服に興味があったジュン(自分)が適任なのでは、ということになり、任せてもらうことになったのがきっかけでした。
いや、任せてもらったのはうれしかったですが…「僕がユニフォーム制作!?」って感じでした(笑)。なんてったって、高校までサッカーしかやってこなかった僕が、「チームを象徴する服とロゴ」をデザインするのですから。コーチはサッカー経験があったからできたけれど、ユニフォーム制作はまったくの未知。知識はゼロ、あるのはただの興味だけ。 さすがにプレッシャーは感じましたが、同時に「未経験の領域で、自分はどこまでできるんだろう」という好奇心もわいていました。

15. 気づいた新たな自分の”可能性”

こうして急に始まったユニフォーム制作。まず、ユニフォームの基盤となるデザインを決めました。チームには、クリニックで教えている子どもたちが大きくなったら、今度はその子たちがコーチとなって次の世代に教える—というビジョンがありました。
そこで、「受け継ぐ」という意識を表すデザインとして、日本人に馴染みのある箱根駅伝の“タスキを繋ぐ”イメージを取り入れ、サムライブルーを使った斜めがけのラインを入れることに決定。そしてロゴは、ユニフォームに想いを込めたので、まず「かっこよさ」と「日本らしさ」を意識しました。 下の写真のように、中心には国旗にもある日の丸とお馴染みの八咫(やた)(がらす)を配置。サムライらしさを表す刀を両脇に置き、下には富士山も描き、日本らしさを前面に出したデザインにしました。

完成したユニフォームチームロゴ

全体的にシンプルなデザインですが、ここに至るまでには、多くのアイデアが出ては消え、出ては消えを繰り返しました(笑)。自分が納得いかないと気がすまない性格なので、寝ずに考えていた日もあったほどです。でも、このとき初めて気づきました。

「自分って、頭を抱えながらも0から1を創る作業、好きかもしれない!!」

遠回りしたり悩んだりする時期もありましたが、アイデアがまとまり完成したときのうれしさや達成感は半端なく、これまで味わったことのないものでした。時間をかければかけるほど喜びは大きく、悩みや苦労も吹き飛ぶことを実感(笑)。だからこそ、最終的には自分も周りも納得できるものを作ることができたのです。

16. ”Samurai FC”という場所

というわけで、Samurai FCという場所は、僕にとってサッカーの経験が活かせる場所であるだけでなく、「自分の得意、好きなことで新しいチャレンジができる場所」でもありました。そして、これはこれから「アズ×サムライ留学パッケージ」で高校留学に挑戦される皆さんにとっても同じ場所になると、僕は確信しています。なぜなら、これを読んでくださっている皆さんも、好きなことや興味があること、得意なことなど何か一つでもあれば、その気持ちを活かして新しい挑戦ができるからです。もちろん、何もなくても大丈夫。それも受け止めて、「知らなかった自分を見つけられるきっかけの場所」になるのがSamurai FCだからです。

まとめ・僕にとっての留学は

17. いつでもあなたは飛び立てる

日本にいた頃、死んだ目で高校に通学していた僕は、「英語を使いたい」でも「海外に行きたい」でもなく、ただ「再スタートを切りたい」という気持ちで留学を選びました。でも、僕はそれで充分、そんなきっかけでいいと思います。英語を頑張らなきゃとか、何か成し遂げて帰国しなきゃとプレッシャーに感じる必要はありません。
あなたが変わりたい、まっさらな自分でもう一度挑戦したいと思う気持ちがあるなら、それだけで充分なんです。

だから、僕にとって留学は、英語ができるようになったり、海外に友達ができるようになったりという素晴らしい経験ができるのは大前提として、「人生の新たなスタートを切れる場所」だと思っています。メディアやSNSでは、語学力が伸びるだの、価値観が広がるだのと言われますが、そんなのは、あなたが留学先で新しい人生を歩み始めようと覚悟を決め、日々を過ごしているなら、「当たり前に身につくもの」です。
読み返してみてください。学校初日、人の目ばかり気にしてた僕は、殻を破ってクラスメイトに話しかけまくりました。あの時、勉強はしていませんでしたが、英語力は確実に伸びていました。 もちろん、机に向かって勉強することを否定してるわけではありませんが(笑)。

ただ僕が一番伝えたいのは、それ以上に留学ってたくさんのことを教えてくれるということです。
別に、英語が好きじゃないといけないとか、海外でたくさん友達を作る意欲がないと成功しないわけじゃありません。極論、英語が好きじゃなくても大丈夫です。でも、「誰も知らないし、誰からも知られていない場所に飛び込んで挑戦したい」という強い意志と機会があるのなら、迷わず飛び込んでほしい。 きっと、あなたなりの留学の価値を見つけると、僕は約束します。

きっかけはなんだっていい。

自分の気持ちに素直に、殻を破って飛び出してみてください。そんなあなたをSamurai FCはいつでも待っています。

文/ジュン


いかがでしたでしょうか?

挫折から始まった留学が、やがて人生を変える出会いと挑戦につながっていく――ジュン君のストーリーから、「本当の留学の価値」を感じていただけたのではないでしょうか。

次回は、創設メンバーの一人、ケイ君がエッセイを綴ってくれます。

帰国後は世界旅行、講演活動、夢を叶えるクラウドファンディングなどで活躍中。型破りな行動力の彼ですが、その原動力は、一体どこから生まれるのでしょうか?高校留学を経て彼がどう変わったのか。そして、Samurai FCの活動の全貌も少しずつ見えてきます!

次回もお楽しみに!

企画・編集/アズ留学センター鈴木


【ジュン君の留学中の様子】アズ体験談記事

【ニュージーランド高校留学-J君①】新型コロナ状況下の クライストチャーチ・留学生活(カシミアハイスクール)
【ニュージーランド高校留学-J君②】大好きなサッカーと留学を両立中・クライストチャーチ(カシミアハイスクール)
【ニュージーランド高校留学-J君③】スキートリップ感想・クライストチャーチ(カシミアハイスクール)
【ニュージーランド高校留学-J君④】祝!サッカー高校生大会優勝!!(カシミアハイスクール)
【ニュージーランド高校留学-J君⑤】サッカーで得たもの(カシミアハイスクール)
【ニュージーランド高校留学-J君⑥】ホスピタリティーナイト(カシミアハイスクール)

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